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中国などで見つけたおもしろい話題を時々紹介。読めば気分転換できるかも。

【広州のアフリカ人】中国広州のブルックリン―20年来のアフリカ系黒人のゴールドドリームは砕け散るのか。(1)

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中国広州のブルックリン―20年来のアフリカ系黒人のゴールドドリームは砕け散るのか

大都市を離れるべきか悩む中国の若者が増えている現在、広州で生活するアフリカ系の商売人も同様に帰国するか留まるかの選択を迫られている。

广州布鲁克林区: 非洲黑人20载淘金梦碎?_网易房产

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アフリカ系黒人の大移動

二十年続いた夢―アフリカ系黒人の大移動は1990年代末に始まった。

1997年の経済危機によりアジアNIESは大きな痛手を受け、中国の投資者たちは新たな市場を探し始め、その多くがアフリカに進出した。"世界の工場"(中国)の廉価な商品は遠く離れた黒人達にビジネスチャンスを嗅ぎ付けさせるに十分だった。

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広州にゴールドドリームを求め、遠く大洋を渡った

中国の南の玄関口広州は、はるか大洋を越えてやって来た彼らの拠点としての第一の選択肢となった。当時、広州中国輸出商品交易会は貿易活動に従事する外国人を惹き付けており、アフリカの商売人もその中のグループの一つだった。香港と比較して、発展途上の広州は、生活コストが低く、競争も激しくなかったため、居住して金を稼ぐには適した場所だったのだ。

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広州市のブルックリン
越秀区、天秀ビルを取り巻く小北路・登峰街・環市中路などの地区、淘金・小北・広州駅の周辺は急速にアフリカ系黒人の広州における拠点となった。広州をニューヨークにたとえ、越秀区の小北・淘金一帯は広州のブルックリンと呼ばれている。

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自然発生的黒人集住地区

放射状に広がる半径10kmの範囲内には、アンゴラの女性が道端で海を越えた距離の電話を掛けており、ナイジェリアの青年が商品でいっぱいになったビニール袋を頭の上に乗せて通り過ぎ、コンゴの貿易商がちょうどワイシャツの注文書にサインをし終えたばかりの姿が見える。

【(2)に続く】

 

広州市天秀ビルの地図】

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www.sankei.com

  

【翻訳・追記:高晋】